どうして栄養士になったのか?
すっかり忘れていたのですが、今回この記事を書くにあたって、思い出しました。
私が小学生のころ
私の父方の祖母は「肝硬変」になりました。アルコールを一切飲まないのに。
私の父方の祖母は「肝硬変」になりました。アルコールを一切飲まないのに。
それ以来、入退院を繰り返しました。
私はおばあちゃん子で、病院にもよくついて行ったし、入院時も毎日のように
お見舞いに行っていて、病院は身近な存在でした。
さらに自分自身も背が小さくやせていたので、体が弱く、肌もアトピーで
しょっちゅう病院のお世話になっていました。
祖母は農業と主婦を兼業でしていました。
食事が上手で起用な人で、我が家は農家の長男のため
みんながとにかく集まる家でしたが、誰かが来ると
チヤッチヤッと数品できあがりみんなを驚かせて
くれていました。
祖母が病気になってからはみんなの食事を作るとともに
自分には違う料理を作っていました。
その時の祖母専用の食事は決して、おいしそうなものではありませんでした。
魚白身やささみを蒸しただけ。
野菜が多くて、味付けた色がついてなくてとにかく質素。
それらの見た目だけで病気って大変なんだなぁ、なったらそういう食事を
とるものだと思っていました。
何年も食生活改善に取り組んだ祖母の影響で、私は栄養士になる決心をして、
祖母を助けたいと栄養士の資格のとれる短大に進学しました。
でも一年のとき、祖母は亡くなってしまい、助けることはできませんでした。
その後、卒業した私は病院栄養士となりました。その病院は、患者さんとお話しをする機会をたくさんもらいました。
患者さんのところに定期的にお話に行くと、食事が美味しいって言ってくださる方がたくさん。うれしかったです。
「おいしい」と食べる方は元気に退院されていきました。一方食べる気力のない方はどんどん衰弱して、亡くなっていきました。
一時は体調が悪くなっても、食べることの要求がある方が、復活を遂げるのを何度もみました。
その時、食と生きることって直結しているのだと、生と死を直面し実感しました。
それから外食産業という「ハレ」の場の経営をお手伝いする会社に就職し、
利益を出し事業を継続することのお手伝いを長くしました。
もっと「食」に直結したいと、独立し、現在に至ります。
久々に自分が栄養士を目指したきっかけを思い出しました。
今、おばあちゃんが、近くで笑ってくれていると思います。